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皆様ご覧いただきありがとうございます。「旧客」は本当に旅情豊かで楽しかったですね。迫力のある機関車が目の前で見れて、窓を開けて駅弁を楽しめ(良く窓枠に置いたお茶がすれ違いで吹っ飛んでいきました・・・)、駅に着くと、それまでの賑やかさがうそのうようにし~んと静まりかえったり、旧客の旅は鉄道の魅力が詰め込まれていて、飽きることがなかったような気がします。
+75kan 様、決して贅沢ではないけれど、たまらなく優雅で贅沢な時間だったんだなーと回想します。もう永遠に、味わう事は出来ないんですよね・・・現代は何もかも便利になったけど、失くしてしまった物も多いです。
ご覧いただきありがとうございます。1985年3月、ダイヤ改正で東北本線黒磯口の旧客が無くなるということでビデオをレンタルして録りに行きました。当時のビデオはカセットデッキ(VHS)とカメラが別々で扱いが難しく、おまけに雪が降って、寒くて大変だったのを覚えています。バッテリーは羊羹のように大きく、なんと30分で終わってしまいました・・・。 現在のハンディビデオなど想像すら出来ない時代でした!
青春まっただ中の青春時代、毎日古い客車に乗って通学してました。走ってる時でさえ、バタンバタンと開けっ放しのドア・・今では考えられませんよね。今では完全なイベント扱いのような列車が、毎日の日常生活の中に当たり前に存在していました。スマホなんか無くていい、時間がかかってもいい、あの頃の鉄道旅行を、もう一度味わってみたい衝動が突き上がってきます。
田舎が郡山で、子どもの頃は「ひばり」で帰省、中学生くらいから鉄道趣味で鈍行で行くようになりました。旧客に乗るためです。まさに同じ頃の映像で涙が出るほど懐かしくなりました。トンネルとか警戒すべき踏切でこまめに鳴らすED75の汽笛、止まると妙に静かな旧客。そして連結器を眺める。視点が面白いくらい同じで本当にいい映像でした。昔の記憶が補完されたような思いです。ありがとうございました。
私も、中学の頃、上野を早朝に出る客車列車に乗りました!仙石線の旧型国電に乗車する為です。当時は、手動ドア、走行中も開けっ放し・・・が当たり前だったんですもんねぇ・・今なら、大問題になってそう・・いい意味で、おおらかな時代でした。帰りは、ひばりの食堂車で、ちょっとした大人気分を味わったものです。社会や鉄道界の変化って、すさまじい・・・あの頃が懐かしく思い出されます。
機関車側の客車に貫通扉がないのも時代を感じる。今じゃ安全問題だなんだって言われそうだけどこのときはそこまでうるさくなかったんだろうな。こののんびりした感じがまたいい!
1985年と言いますと私は列車掛として黒磯まで乗務していた頃になりますが、住んでいた地域が交流電化区間でしたので黒磯駅で見る青い電機が珍しく、緑と赤の旗にハンマーを重い胴乱に取り付けて片手に列車無線という姿で鉄道員の利点を利用してはEF58・64・65等をしげしげと見ていたものです。この動画にもありましたが「便乗」という形での区間移動もありましたので、見ていてとても懐かしくなってきました。貴重な映像有り難うございます。
毬田昴様ご覧いただきありがとうございます。ゴハチを目の前で見れたとのこと、羨ましすぎます。今は黒磯もスルー運転となり交直機関車が行き来していた頃の活気がなくなり残念です。
声の割れた車内放送が素晴らしい。重量感のあるジョイント音も素晴らしい。線路からダイレクトに伝わる感じなんだけど決して不快じゃないんですよね。
こういう動画、アリそうでないですね。とても貴重だと思います。有り難うございます。
素敵な映像、有り難うございます!僕が小さいときの記憶が蘇りました!ちょうどこの1985年頃だったと思います。母の法事に連れられて、ED75が牽引する客車鈍行に乗り、「新白河」から「鏡石」まで行った、或る夜の出来事でした。途中、「泉崎」か「矢吹」だったかで?”シレーっ”と通過してしてしまったらしく!!車掌さんから『一駅飛ばしてしまいましたので、戻ります!』とのアナウンスがあり、間もなく停車。そして、かなりの距離を推進運転で駅まで戻りました。そんな珍エピソードを鮮明に覚えております(笑)子供の目線からED75という機関車が途轍もなく大きく、力強く見えて、鳥肌が立つほど感動しました。また、客車のむき出しのデッキや無骨で頑強な造りにも魅了されました!それ以来僕は、鉄道ファンになりました。やはり今でも、客車列車が好きです。もう殆ど姿を消してしまい、寂しい現在ですね。この時代にタイムスリップ出来るなら、夢のようですね☆
Nukki Nukki さん昔のほうが機転が利いたところありましたよね。きちんと駅に戻るし、発車も待ってくれましたし。自分の場合は列車に乗り遅れ、諦めていたらブレーキがかかり、車掌さんが大声で「乗って乗って」と自分に。黒田原駅の出来事でしたが、昔はホントに親切な職員さんが多かったです。
貴重な体験ですねぇ恐らく誤通過してしまったのは、その二つの駅であれば、「泉崎」の方だと思う。「泉崎」は多分停留場(閉塞区間の途中にある駅)ですので、待合室くらいしか灯りの無い、周りの暗いこの駅なら、通過してしまう可能性はあるかも。「矢吹(場内信号アリの停車場)」は急行停車駅でしたから、ウテシも間違える事は無いはず。関東にお住まいで、客車列車を体験されたいならば、群馬県を走る、元国鉄足尾線である『わたらせ渓谷鐡道』の客車トロッコ、「わたらせ渓谷号」がお薦め。4両編成で、解放式の中間2両のトロッコもお薦めですが、両端2両は元JRの12系客車で、概ね全区間を45km/hで走るので、窓を開けて風を浴びてても、車掌さんには何も言われないです。窓が開かない車両が多い現在に、貴重な体験ができます。
母親の実家が福島県の東北本線沿線でしたので、70〜80年半ばまでは白河まで急行、白河から旧客車の鈍行列車でした。一ノ関行きあり、小牛田行きもありましたね。ED71型も牽引してました。あの頃が懐かしいです。
懐かしいですね。母の田舎が秋田で、鉄道が好きだった自分は田舎に行った際、ED75が牽引したチョコレート色の客車によく乗りに行きました。機関車と客車の連結部分のトコがお気に入りでした。当時は自由に覗けましたね。ED75のモーター音も懐かしい…良い動画でした。ありがとうございます。
この時代、東京近郊に旧型客車活躍していたとは信じられないですね。夏も今よりは涼しかったのでしょうか。この時代にタイムスリップして、国鉄車両に酔いしれてみたいです。
この時期には常磐線とか1日に2,3本、上野駅まで旧客車の普通列車が来ていたような・・・もうちょっと前の時期だったかな?
ちょうどこの日、自分も福島→山形→仙台と旧型客車の旅をしていました。こちらの動画にも写っていますが、この日、東北地方はかなりの雪で東京在住の自分には、3月になってこんな雪になるとはさすが東北だ、とびっくりしたことを覚えています。なつかしい映像、ありがとうございます。
東北在住の者です。懐かしい青春時代を思い出しました。これは永久保存版ですね!ありがとうございます。
ご覧いただきありがとうございます。青春時代、懐かしいですねぇ。木造の窓枠なんかによく相合傘♡で名前が掘ってありましたね。
黒磯から一ノ関までフルで走ってたのが羨ましい。最近は黒磯から仙台のもなくなったみたいだし。客車が品のある作りでいいな。昔に戻りたい
現在も下りの黒磯発の初電が仙台行きです。コレが最長です。上りの仙台発黒磯行きは数年前に廃止されましたが、黒磯駅の設備が改良される予定なので、いずれかはなくなる運命でしょう。
躊躇なく駅弁食えるのがいい感じw
仙台口から今は鬼籍となった祖父母の家に遊びにいった幼少の頃を思い出しました。ありがとうございました。
一ノ関行き123レの動画があるとは。感激です。
ものすごく、いい感じの撮影されてますね!めちゃくちゃ貴重映像です。ありがとうございます!
旧客の車内は見ているだけで落ち着きます。癒されますね。いろんなものに余裕があって(今はすべてが効率重視でキチキチ)、適当な無駄があって、のんびりした時代でした。ただ直角座席での長距離移動はやはりつらいものがありましたね。。
+nobutora345 え~・・今の、軽薄なステンレス製の電車のロングシートに較べたら、たとえ直角でも、客車のクロスシートは天国ですよ~
この列車が上野始発だったころ大宮まで何度か狙って乗りました。1976年の時刻表見ると東北本線上野発の客車普通列車は3本。早朝の121レ 郡山行昼間の123レ 一ノ関行15時台の125レ 福島行実際乗ったのは123列車のみだけど125列車は赤羽駅の京浜東北線ホームから着発シーン見ました。夏だったのと高校生の帰宅時間にあたる列車だったのかドア開けっ放しでデッキまで高校生満載で「あんなんでよく事故起きねえな」と思ったです。この当時の客車列車は6時台の327レ長野行なんてのもありました。この列車は高崎まで八高線で行って(東上沿線在住)中軽井沢まで何度か乗ったことありますが、夏のシーズンだと若者満載で高崎からじゃ座れなかった記憶あります。「こいつらどこまで行くんだ」と思ったら軽井沢で大量下車。みんな旧軽行くのね。高崎発9時台というちょうどいい時間だからか・・・。でも、この列車の廃止後の信越線高崎発下りは7時台に長野行出た後、碓氷峠越える普通列車は11時台までなしになり「あの時の連中は今どうやって軽井沢に行ってるんだろう」と思ったことあります。
私も同じ頃でしょうか、青春18きっぷで北上、黒磯から旧型客車に乗って白坂まで行きました。雪のない晩秋だったと思いますが、歩いて黒川橋梁(確かこの名前のはず)へ行き、高台で旧型客車の通過風景を写真に撮ったことがあります。外観、車内の様子、まさしく当時の普通列車で、とても懐かしく見させてもらいました。降りるとき、ドアを自分で開けるのが、一番印象深いです。
志村栄一様 お越しいただきありがとうございます。白坂からの鉄橋ですとおっしゃる通リ黒川鉄橋ですね。当時は鉄橋を見下ろせる山の木が伐採されていて素晴らしい編成写真が撮れましたが、今は樹木が伸び放題で全く線路が見えません。旧型客車はドアが解放されていたので、走行中に扉を開け、デッキから身を乗り出したり、対向列車を見たりしたのが懐かしい思い出です。
今や、客車列車に乗れるのは、大井川鐵道だけ。然し、水害で不通の区間があるし……。この年は32歳でした。昭和39年9月の時刻表復刻版を購入しました。東北本線下りを見たら、黒磯発一ノ関行123列車が走ってました。黒磯12:36発、一ノ関着21:10のスジです。もっと凄いのは、上野発青森行111列車。上野発11:08、青森着翌日8:14で一等車連結。一部の駅は通過扱いしてます。
EXPO 85つくば万博の時にこんな鉄道情景がまだあったなんて…
旧客は「近代化」される前のニスの匂いが残るあの内装が断然良い。
旧型客車は何時間乗っても、飽きることがないですね
+o kz さん、ほんと、そう思います。決して贅沢ではないけれど、たまらなく優雅で贅沢な時間だったとしみじみ回想します。
懐かしい黒磯駅😊オイラの故郷
1983年4月に福島大学に入学して卒業まで郡山~金谷川間を東北本線を利用しましたが,入学時は全列車が客レとDCで,その後から少しずつ電車が入り(当時はグリーン開放もあり)卒業時は列車本数も格段に増えてすべて電車になりました(一部阿武隈急行の電車もありましたが)。今思うと一種「激動」の時代だったわけですな。
いいですね、確かこのスジの一ノ関行きは、もっと昔上野発で一ノ関到着が22時過ぎだったような記憶が…載りたいと思いながら幼少期だったため乗れなかった客車鈍行です、貴重な映像楽しませて頂きました。
Tama Kaneko 様ご覧いただきありがとうございます。上野発の一関行は123列車は、上野発11:19分発、黒磯は14:28分なので、まさにこの列車ですね。東北本線の撮影にはいつも狙っていた列車です。黒磯まではEF57やEF58が牽引していました。
懐かしいですね。これがイベントではなく現役なのにも驚きです。黒磯発一ノ関行きとはボリュームありそうですね。登録しました。
naka 375 当然701系なんてないですからね。昔は上野〜青森なんてありました。
車掌が客室内のボックス席に座るあたりがなんかいいです。
昔、上野発一関行の客車普通列車(一部快速)がありましたね。確か、123レだったと思います。今から40年近く前です、母が高校の帰り土曜日だけですが、宇都宮→氏家まで乗ったと言っていました。昔ながらの古い客車で背もたれが木でできていたそうです。
この頃自分は大阪で高校生やっていて、福知山線、山陰線などの客車は時々乗っていました。一度遠出して天王寺から紀伊半島を一周する「はやたま」に乗ったのもいい思い出です😊
客車のドアを閉めても冬場は隙間風が入ってきました。貴重映像ありがとうございます。
jUNICHI OGAWA様ご覧いただきありがとうございます。足元からの電気暖房は暑いくらいでしたが、客車の窓から入ってくる冷たい隙間風はとても心地よかったのを覚えています。
@@75kan あの頃の鉄道(国鉄時代)は今と違い忙しなさが無いのんびりとしてとても良い時代でしたね。もう一度あの頃に戻りたいです!
1970年代に上野方面へ客車列車乗った記憶があります。
国鉄時代の思い出として黒磯駅関係で思い出されるモノと言いますと、EF58型61号機と駅の皇室専用扉でしょうか。61号機については乗務の合間に短時間見ただけで、しげしげと見ることは出来ませんでしたが、見る事が出来ただけでもきわめて希だと聞かされました。黒磯駅の皇室専用扉は先輩の乗務員にこの扉が皇室専用であると聞かされて、かつて昭和天皇がここを利用して那須の御用邸へ行かれたと言う話をしていました。東北新幹線開業後は那須塩原駅が出来たことで天皇がこの扉を利用することも無くなりもう鍵がかけられたままであるとのことでした。列車係が廃止されてJRになってからも車掌として黒磯まで来ることもありましたが、10分程度での折り返し列車か回送や臨時列車などで片道を便乗という形での乗務となり、時代の流れかその頃にはもうFE58も見る事が無くなってしまいましたが、機関車の付け替え作業を横目で見つつもいずれはここまで来ることも無くなるのだろうなとなんとなく寂しさが残りました。現在は東日本大震災を機にJRを辞め故郷に帰り早めのセカンドライフを楽しんでおります。
冒頭に出てきたニス塗り車内、木製床、白熱灯の未更新車両、子供時代は薄気味悪く感じたんですけど、現在では古い家具や調度品のように趣ある車両に感じます。(よく見たら、映像の車両はサークル蛍光灯車でしたw)旧客って、旅心をくすぐるんですよね。連結器やジョイントの音、開けたままでも走るので気軽に飛び乗れるところ、機関車の後ろに乗るとダイレクトに聞こえるモーターと吊り掛け駆動の音、全てが「旅に出る」シチュエーションにつながっていました。自分を旅好きにさせてくれたもの、それが旧型客車です。
いまや国内では定期運用の客車列車が存在しませんので貴重な記録ですね。撮影された年代ですと8ミリ規格ビデオが出始める直前ぐらいですので、揺れる車内で大きく重い機材を使っての撮影はさぞかし大変だったのではないでしょうか。
tanaka4381様ご覧いただきありがとうございます。当時の録画機材はレンタルで借りたのですが、デッキ部とカメラが別々になっていて雪の中大変だったことを覚えています。デッキ部には大きなVHSのテープをそのまま入れ、バッテリーは羊羹みたいに大きく30分しか持ちませんでした。今は4K60Pまで手軽に撮影できるようになり技術の進歩に驚くばかりです。いよいよ8Kも視野に入ってきて、この先が本当に楽しみです。
みたいアングルが沢山あって感激しました(^ ^)ありがとうございます。
この頃、長距離鈍行ありましたよね。よく会社の寮(西那須野)から実家(仙台)帰るのに使ってました。
特に43形客車は乗り心地が良く、座席の厚さと相まって、何時間乗っても疲れにくかった記憶があります。スピードではかないませんが、空気バネの今の電車に決して負けてません。
+M Heart まさに高級車だったんやね。重厚感とはこういうことなんでしょう。旧客と馬鹿にしていた時もありました。鈍間で古臭いという認識でした。反省…。
子供の頃 山陰線のこの型の鈍行に乗りました。ドアが開いていてのんびり福知山まで行きました。もう一度乗りたいな味があるねこの頃の客車 駅弁食いながらJRさん旧型客車復活して
53・9まで123ㇾだった一ノ関行きですかね?ドア開けたままでも自己責人でしたね。一応「泊まってから降りてくれ」・「駆け込み乗車はお止めください」楽しかったな…あの時代。
やはり黒磯駅はみちのくなんですね!この映像そう、黒磯駅ゆきのなか。イイです。
旧型客車が全盛期のころ、駅に停まる度 特急や急行、貨物列車そして荷物列車に追い越されたのを覚えています。中線に退避し上下線をけたたましいスピードで通過する特急に恐怖さえ感じました!
大きな駅では 10分15分の停車は当たり前 駅そばを食う余裕もあった自分は参加しなかったが 鉄研の連中が一筆書き日本一周を夏休みにやったとき 各地に帰って行った同級生から駅で差し入れを受け取る余裕もあったあの時代は 電報なんだよな いちおう出発前には断りを入れておくが〇〇駅に〇時に〇列車で と一報入れるとほぼ必ず来てくれたものです車掌に頼めば(もちろん大きな駅でも)電報が打てた時代
懐かしい。上野駅13番線発だったような?ひと駅先の尾久までよく乗りました。
黒磯で缶ビールと九尾の釜飯買って郡山辺りで長時間停車なら会津のカップ酒を買って… そんな事が出来たんだなぁ
よく聞いてると機関車のモータ音がしていますね。
凄い録画やね。特にデッキ部分の走行時。外気を受けた状態での録画。寒かったんでしょう(笑)。そんな事は、今の安全に関してうるさい時代になったのだから不可能なこと。貴重すぎます。釣りかけ音バリバリ聞こえますやん(笑)。
発車時の「ピーーーー!!(汽笛)…ピヒュー(?)…ガチャン!!(連結器)」という一連のコンボが懐かしいです。ED75は「ピヒュー」が発車時ですがEF81だと停車した直後に鳴ってたので、「何の音なんだろ?」といつも疑問に思っていました。
ZZZZZX11 ブレーキ緩解の音ではなく?
この動画よりも随分前になるが、国鉄時刻表(1968年10月、復刻版)を見ていると、近距離は気動車が使われることが目立つが、それ以外は客車が100%の年であった。上野〜東北本線〜青森、上野〜常磐線〜青森、上野〜奥羽本線〜青森とありました。その頃は東北の非電化区間は蒸気機関車に牽引されていましたし、三重連も見られました。
雪景色いいね~
嗯 沒錯 就是日本的普快車跟台灣平快車相當一樣
廃止直前でこの閑散ぶり!今なら考えられませんね。
この時代を知ってるものからしても、8時間21分!過酷過ぎる
なつかしい。昔の電車は雪にも風にも強かったのに…今はワンマンだし軽いせいか雪に弱い。
本当にそうですね。旧型客車は風雪に強かった。21世紀の今の方が弱いって何なんでしょうね
乗ってる時のジョイント音の重みが違いますよね…
@@ecneicslaicos 新幹線利用者以外はクソ客なんでしょw利益ばっか優先しやがって👊
@@ecneicslaicos 新幹線ばかり優遇しやがって今は乗る気になれん。通学途中のガキ共もうるさいから。
旧客ではありませんが、飯山線なんかも昭和の頃はかなりの雪でも運休しなかった…
85年3月の撮影ということは、ごく一部以外の旧型客車列車廃止の寸前の撮影ですね。10万円払ってでも乗りたいです。
bolaurel1 様 ご覧いただきありがとうございます。私も10万円でも乗りたいです、旧客は必須で、機関車はゴハチはいないのでEF65、九州はEF81かED76。でも、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州と4社にまたがるので無理かなぁ。
ED75との連結部のドアは開放なんですね❗
shuncgd1 様 ご覧いただきありがとうございます。そうですね、昔は鎖一本だけでした。機関車に触れます!
一番後ろも同じで鎖1本と渡り板を上げただけで転落を防いでいました。
1993年に701系が投入されるまでは、わずかながら719系や455系などに混じって客車列車も残存していましたね。
本来は417系によって昭和50年代までに姿を消す予定だったらしいですが、その417系の製造コストがバカにならないらしくやめたみたいですね。
懐かしい❗客車、もしかして客室内に灰皿もあった時代でしょうか?
客レ復活して欲しい
上野発で,EF57が牽引していた記憶が・・・
potterandvoldemort 様 ご覧いただきありがとうございます。上野11時13分発の一ノ関行き123列車は昭和53年10月からは黒磯発に変更になりました。それまではおっしゃるようにEF57やEF58が担当していました。撮影には朝5時30分発の郡山行を使っていましたが、13番線ホームの先頭にEF57かEF58かどっちがくっついているかワクワクしながら見に行き乗り込んだものです。EF57だと折り返し運用の122列車のEF57が確定するので大喜びでした。
@@75kan 返信ありがとうございます。私は子供のころ,時刻表でこの列車の存在を知ってから,チョコレート色の客車を好んで乗っていました。
これって昭和60年3月11日の映像じゃないか
詳しくはわかりませんが、機関車が連結されていないと、蒸気暖房の供給がされないのでは・・・・。デッキがあるとはいえ、機関車が連結されるまでは熱源がなく、寒かったのではないですか?
tsuka5116 様こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。ED75は電気暖房でしたが、連結されていないと客車内が冷えてきます。この時は折り返しでしたし、興奮していたので寒さは大丈夫でした(笑)。
今の東北本線とは全然違うな(>__
なんか、電車の吊掛けモーターみたいな音がしますが気のせい?
広子村田 さんこんばんは。ED75は吊掛け駆動方式ですので、この音はナナゴのモーター音です。吊掛けサウンド、懐かしいですね。
客室から機関車丸見え
中身更新されてない客車かあ
追伸 上野から乗って,上り電車との連絡がある駅で下車して上野までもどる。カレチさんが来ないことを祈って,よく安切符で乗っていました。違法ですけどね。
各停か。
ある意味417系量産されなくてよかったかもですね。恐ろしい話ですが、417系が大量量産されていたら3両2ドアの電車に押し込められていた可能性が高いですよ。国鉄時代青森や秋田にも417系を導入するつもりだったみたいだし、そしたらどこ行っても417系しか見なかったわけだ。旧国は417に感謝しなければいけないと思う。じゃなきゃ417ばっかの東北・北陸地方だっただろうからね。
キハ47の世界が電車区間にも及んだと言う事でしょう、キハ40とキハ48は50系が増備されなければもっと勢力を伸ばしたと言う事でしょう。
這個日本國鐵舊型客車好像台鐵普快車 有人知道嗎 給出答案
こんなに空いた列車を葛西や深澤が見たら直ぐに1,2両の編成にするでしょうね、両名国鉄時代からいたのに何故すぐやらなかったのだろうか?自分に赤字の責任が及ぶときになってやっと動き出すと言うクズですね。
通常運用は既に115系1000番台による置き換えが進んでいたんですけどねぇ。東北本線の黒磯以南の普通列車は、115系化が物凄く早かったんですが、国鉄が電化の経費を削減しようと交流電化で東北地区を電化してしまったが為に、新型車両を入れづらくなった背景が客車列車をあそこまで生き残らせる結果となった訳です。本来交流電化は常磐線以外の路線でやっても効果が出ないことが分かっていたのに、国鉄は費用削減の一環で交流電化にしたのがそもそもの問題だったと思います。後年になって電化された山陽本線、直流電化に全線電化したことで115系を入れやすくなり、こちらは関東地区の非冷房車を転属させ旧型国電と客車列車の置き換えを行いましたが、東北本線黒磯以北ならびに奥羽本線、羽越本線と言った東北三大幹線も直流電化方式の電化を取るべきだったでしょうね。北陸本線にも言えますが、交流電化のメリットは薄く、常磐線を除けば一気に大電流を流さないと高速運転できない新幹線以外では車両を用意しなきゃいけないなどのデメリットの方が多かったりしますね。初めから直流電化をしておけば、本州だけなら115系でも賄えますので115系を新製して客レの置き換えをしてあげれば近代的な路線となっていたでしょう。長文失礼しました。
少し前なら上野8時発の一ノ関行きってあった
皆様ご覧いただきありがとうございます。「旧客」は本当に旅情豊かで楽しかったですね。迫力のある機関車が目の前で見れて、窓を開けて駅弁を楽しめ(良く窓枠に置いたお茶がすれ違いで吹っ飛んでいきました・・・)、駅に着くと、それまでの賑やかさがうそのうようにし~んと静まりかえったり、旧客の旅は鉄道の魅力が詰め込まれていて、飽きることがなかったような気がします。
+75kan 様、
決して贅沢ではないけれど、たまらなく優雅で贅沢な時間だったんだなーと回想します。
もう永遠に、味わう事は出来ないんですよね・・・
現代は何もかも便利になったけど、失くしてしまった物も多いです。
ご覧いただきありがとうございます。1985年3月、ダイヤ改正で東北本線黒磯口の
旧客が無くなるということでビデオをレンタルして録りに行きました。
当時のビデオはカセットデッキ(VHS)とカメラが別々で扱いが難しく、おまけに雪が降って、
寒くて大変だったのを覚えています。バッテリーは羊羹のように大きく、なんと30分で終わ
ってしまいました・・・。 現在のハンディビデオなど想像すら出来ない時代でした!
青春まっただ中の青春時代、毎日古い客車に乗って通学してました。
走ってる時でさえ、バタンバタンと開けっ放しのドア・・今では考えられませんよね。
今では完全なイベント扱いのような列車が、毎日の日常生活の中に当たり前に存在していました。
スマホなんか無くていい、時間がかかってもいい、
あの頃の鉄道旅行を、もう一度味わってみたい衝動が突き上がってきます。
田舎が郡山で、子どもの頃は「ひばり」で帰省、中学生くらいから鉄道趣味で鈍行で行くようになりました。旧客に乗るためです。まさに同じ頃の映像で涙が出るほど懐かしくなりました。トンネルとか警戒すべき踏切でこまめに鳴らすED75の汽笛、止まると妙に静かな旧客。そして連結器を眺める。視点が面白いくらい同じで本当にいい映像でした。昔の記憶が補完されたような思いです。ありがとうございました。
私も、中学の頃、上野を早朝に出る客車列車に乗りました!
仙石線の旧型国電に乗車する為です。
当時は、手動ドア、走行中も開けっ放し・・・が当たり前だったんですもんねぇ・・
今なら、大問題になってそう・・いい意味で、おおらかな時代でした。
帰りは、ひばりの食堂車で、ちょっとした大人気分を味わったものです。
社会や鉄道界の変化って、すさまじい・・・
あの頃が懐かしく思い出されます。
機関車側の客車に貫通扉がないのも時代を感じる。今じゃ安全問題だなんだって言われそうだけど
このときはそこまでうるさくなかったんだろうな。こののんびりした感じがまたいい!
1985年と言いますと私は列車掛として黒磯まで乗務していた頃になりますが、住んでいた地域が交流電化区間でしたので黒磯駅で見る青い電機が珍しく、緑と赤の旗にハンマーを重い胴乱に取り付けて片手に列車無線という姿で鉄道員の利点を利用してはEF58・64・65等をしげしげと見ていたものです。この動画にもありましたが「便乗」という形での区間移動もありましたので、見ていてとても懐かしくなってきました。貴重な映像有り難うございます。
毬田昴様
ご覧いただきありがとうございます。ゴハチを目の前で見れたとのこと、羨ましすぎます。今は黒磯もスルー運転となり交直機関車が行き来していた頃の活気がなくなり残念です。
声の割れた車内放送が素晴らしい。重量感のあるジョイント音も素晴らしい。線路からダイレクトに伝わる感じなんだけど決して不快じゃないんですよね。
こういう動画、アリそうでないですね。
とても貴重だと思います。
有り難うございます。
素敵な映像、有り難うございます!僕が小さいときの記憶が蘇りました!
ちょうどこの1985年頃だったと思います。
母の法事に連れられて、ED75が牽引する客車鈍行に乗り、
「新白河」から「鏡石」まで行った、或る夜の出来事でした。
途中、「泉崎」か「矢吹」だったかで?”シレーっ”と通過してしてしまったらしく!!
車掌さんから『一駅飛ばしてしまいましたので、戻ります!』とのアナウンスがあり、
間もなく停車。
そして、かなりの距離を推進運転で駅まで戻りました。
そんな珍エピソードを鮮明に覚えております(笑)
子供の目線からED75という機関車が途轍もなく大きく、力強く見えて、
鳥肌が立つほど感動しました。
また、客車のむき出しのデッキや無骨で頑強な造りにも魅了されました!
それ以来僕は、鉄道ファンになりました。
やはり今でも、客車列車が好きです。
もう殆ど姿を消してしまい、寂しい現在ですね。
この時代にタイムスリップ出来るなら、夢のようですね☆
Nukki Nukki さん
昔のほうが機転が利いたところありましたよね。きちんと駅に戻るし、発車も待ってくれましたし。自分の場合は列車に乗り遅れ、諦めていたらブレーキがかかり、車掌さんが大声で「乗って乗って」と自分に。黒田原駅の出来事でしたが、昔はホントに親切な職員さんが多かったです。
貴重な体験ですねぇ
恐らく誤通過してしまったのは、その二つの駅であれば、「泉崎」の方だと思う。
「泉崎」は多分停留場(閉塞区間の途中にある駅)ですので、待合室くらいしか灯りの無い、周りの暗いこの駅なら、通過してしまう可能性はあるかも。
「矢吹(場内信号アリの停車場)」は急行停車駅でしたから、ウテシも間違える事は無いはず。
関東にお住まいで、客車列車を体験されたいならば、群馬県を走る、元国鉄足尾線である『わたらせ渓谷鐡道』の客車トロッコ、「わたらせ渓谷号」がお薦め。
4両編成で、解放式の中間2両のトロッコもお薦めですが、両端2両は元JRの12系客車で、概ね全区間を45km/hで走るので、窓を開けて風を浴びてても、車掌さんには何も言われないです。
窓が開かない車両が多い現在に、貴重な体験ができます。
母親の実家が福島県の東北本線沿線でしたので、70〜80年半ばまでは白河まで急行、白河から旧客車の鈍行列車でした。
一ノ関行きあり、小牛田行きもありましたね。ED71型も牽引してました。あの頃が懐かしいです。
懐かしいですね。
母の田舎が秋田で、鉄道が好きだった自分は田舎に行った際、ED75が牽引したチョコレート色の客車によく乗りに行きました。
機関車と客車の連結部分のトコがお気に入りでした。当時は自由に覗けましたね。
ED75のモーター音も懐かしい…
良い動画でした。ありがとうございます。
この時代、東京近郊に旧型客車活躍していたとは信じられないですね。
夏も今よりは涼しかったのでしょうか。
この時代にタイムスリップして、国鉄車両に酔いしれてみたいです。
この時期には常磐線とか1日に2,3本、上野駅まで旧客車の普通列車が来ていたような・・・もうちょっと前の時期だったかな?
ちょうどこの日、自分も福島→山形→仙台と旧型客車の旅をしていました。こちらの動画にも写っていますが、この日、東北地方はかなりの雪で東京在住の自分には、3月になってこんな雪になるとはさすが東北だ、とびっくりしたことを覚えています。
なつかしい映像、ありがとうございます。
東北在住の者です。
懐かしい青春時代を思い出しました。
これは永久保存版ですね!
ありがとうございます。
ご覧いただきありがとうございます。青春時代、懐かしいですねぇ。
木造の窓枠なんかによく相合傘♡で名前が掘ってありましたね。
黒磯から一ノ関までフルで走ってたのが羨ましい。最近は黒磯から仙台のもなくなったみたいだし。客車が品のある作りでいいな。昔に戻りたい
現在も下りの黒磯発の初電が仙台行きです。
コレが最長です。
上りの仙台発黒磯行きは数年前に廃止されましたが、黒磯駅の設備が改良される予定なので、いずれかはなくなる運命でしょう。
躊躇なく駅弁食えるのがいい感じw
仙台口から今は鬼籍となった祖父母の家に遊びにいった幼少の頃を思い出しました。ありがとうございました。
一ノ関行き123レの動画があるとは。感激です。
ものすごく、いい感じの撮影されてますね!めちゃくちゃ貴重映像です。ありがとうございます!
旧客の車内は見ているだけで落ち着きます。癒されますね。いろんなものに余裕があって(今はすべてが効率重視でキチキチ)、適当な無駄があって、のんびりした時代でした。ただ直角座席での長距離移動はやはりつらいものがありましたね。。
+nobutora345
え~・・
今の、軽薄なステンレス製の電車のロングシートに較べたら、
たとえ直角でも、客車のクロスシートは天国ですよ~
この列車が上野始発だったころ大宮まで何度か狙って乗りました。
1976年の時刻表見ると東北本線上野発の客車普通列車は3本。
早朝の121レ 郡山行
昼間の123レ 一ノ関行
15時台の125レ 福島行
実際乗ったのは123列車のみだけど125列車は赤羽駅の京浜東北線ホームから着発シーン見ました。
夏だったのと高校生の帰宅時間にあたる列車だったのかドア開けっ放しでデッキまで高校生満載で
「あんなんでよく事故起きねえな」と思ったです。
この当時の客車列車は6時台の327レ長野行なんてのもありました。
この列車は高崎まで八高線で行って(東上沿線在住)中軽井沢まで何度か乗ったことありますが、
夏のシーズンだと若者満載で高崎からじゃ座れなかった記憶あります。
「こいつらどこまで行くんだ」と思ったら軽井沢で大量下車。みんな旧軽行くのね。
高崎発9時台というちょうどいい時間だからか・・・。
でも、この列車の廃止後の信越線高崎発下りは7時台に長野行出た後、碓氷峠越える普通列車は
11時台までなしになり「あの時の連中は今どうやって軽井沢に行ってるんだろう」と思ったことあります。
私も同じ頃でしょうか、青春18きっぷで北上、黒磯から旧型客車に乗って白坂まで行きました。雪のない晩秋だったと思いますが、歩いて黒川橋梁(確かこの名前のはず)へ行き、高台で旧型客車の通過風景を写真に撮ったことがあります。
外観、車内の様子、まさしく当時の普通列車で、とても懐かしく見させてもらいました。降りるとき、ドアを自分で開けるのが、一番印象深いです。
志村栄一様 お越しいただきありがとうございます。
白坂からの鉄橋ですとおっしゃる通リ黒川鉄橋ですね。当時は鉄橋を見下ろせる山の木が伐採されていて素晴らしい編成写真が撮れましたが、今は樹木が伸び放題で全く線路が見えません。
旧型客車はドアが解放されていたので、走行中に扉を開け、デッキから身を乗り出したり、対向列車を見たりしたのが懐かしい思い出です。
今や、客車列車に乗れるのは、大井川鐵道だけ。然し、水害で不通の区間があるし……。
この年は32歳でした。
昭和39年9月の時刻表復刻版を購入しました。
東北本線下りを見たら、黒磯発一ノ関行123列車が走ってました。黒磯12:36発、一ノ関着21:10のスジです。
もっと凄いのは、上野発青森行111列車。上野発11:08、青森着翌日8:14で一等車連結。一部の駅は通過扱いしてます。
EXPO 85つくば万博の時にこんな鉄道情景がまだあったなんて…
旧客は「近代化」される前のニスの匂いが残るあの内装が断然良い。
旧型客車は何時間乗っても、飽きることがないですね
+o kz さん、
ほんと、そう思います。
決して贅沢ではないけれど、たまらなく優雅で贅沢な時間だったとしみじみ回想します。
懐かしい黒磯駅😊オイラの故郷
1983年4月に福島大学に入学して卒業まで郡山~金谷川間を東北本線を利用しましたが,入学時は全列車が客レとDCで,その後から少しずつ電車が入り(当時はグリーン開放もあり)卒業時は列車本数も格段に増えてすべて電車になりました(一部阿武隈急行の電車もありましたが)。今思うと一種「激動」の時代だったわけですな。
いいですね、確かこのスジの一ノ関行きは、もっと昔上野発で一ノ関到着が22時過ぎだったような記憶が…
載りたいと思いながら幼少期だったため乗れなかった客車鈍行です、貴重な映像楽しませて頂きました。
Tama Kaneko 様ご覧いただきありがとうございます。上野発の一関行は123列車は、上野発11:19分発、黒磯は14:28分なので、まさにこの列車ですね。東北本線の撮影にはいつも狙っていた列車です。黒磯まではEF57やEF58が牽引していました。
懐かしいですね。
これがイベントではなく現役なのにも驚きです。
黒磯発一ノ関行きとはボリュームありそうですね。
登録しました。
naka 375 当然701系なんてないですからね。昔は上野〜青森なんてありました。
車掌が客室内のボックス席に座るあたりがなんかいいです。
昔、上野発一関行の客車普通列車(一部快速)がありましたね。確か、123レだったと思います。
今から40年近く前です、母が高校の帰り土曜日だけですが、宇都宮→氏家まで乗ったと言っていました。昔ながらの古い客車で背もたれが木でできていたそうです。
この頃自分は大阪で高校生やっていて、福知山線、山陰線などの客車は時々乗っていました。一度遠出して天王寺から紀伊半島を一周する「はやたま」に乗ったのもいい思い出です😊
客車のドアを閉めても冬場は隙間風が入ってきました。貴重映像ありがとうございます。
jUNICHI OGAWA様ご覧いただきありがとうございます。
足元からの電気暖房は暑いくらいでしたが、客車の窓から入ってくる冷たい隙間風はとても
心地よかったのを覚えています。
@@75kan あの頃の鉄道(国鉄時代)は今と違い忙しなさが無い
のんびりとしてとても良い時代でしたね。
もう一度あの頃に戻りたいです!
1970年代に上野方面へ客車列車乗った記憶があります。
国鉄時代の思い出として黒磯駅関係で思い出されるモノと言いますと、EF58型61号機と駅の皇室専用扉でしょうか。61号機については乗務の合間に短時間見ただけで、しげしげと見ることは出来ませんでしたが、見る事が出来ただけでもきわめて希だと聞かされました。黒磯駅の皇室専用扉は先輩の乗務員にこの扉が皇室専用であると聞かされて、かつて昭和天皇がここを利用して那須の御用邸へ行かれたと言う話をしていました。東北新幹線開業後は那須塩原駅が出来たことで天皇がこの扉を利用することも無くなりもう鍵がかけられたままであるとのことでした。列車係が廃止されてJRになってからも車掌として黒磯まで来ることもありましたが、10分程度での折り返し列車か回送や臨時列車などで片道を便乗という形での乗務となり、時代の流れかその頃にはもうFE58も見る事が無くなってしまいましたが、機関車の付け替え作業を横目で見つつもいずれはここまで来ることも無くなるのだろうなとなんとなく寂しさが残りました。現在は東日本大震災を機にJRを辞め故郷に帰り早めのセカンドライフを楽しんでおります。
冒頭に出てきたニス塗り車内、木製床、白熱灯の未更新車両、子供時代は薄気味悪く感じたんですけど、現在では古い家具や調度品のように趣ある車両に感じます。(よく見たら、映像の車両はサークル蛍光灯車でしたw)
旧客って、旅心をくすぐるんですよね。連結器やジョイントの音、開けたままでも走るので気軽に飛び乗れるところ、機関車の後ろに乗るとダイレクトに聞こえるモーターと吊り掛け駆動の音、全てが「旅に出る」シチュエーションにつながっていました。自分を旅好きにさせてくれたもの、それが旧型客車です。
いまや国内では定期運用の客車列車が存在しませんので貴重な記録ですね。撮影された年代ですと8ミリ規格ビデオが出始める直前ぐらいですので、揺れる車内で大きく重い機材を使っての撮影はさぞかし大変だったのではないでしょうか。
tanaka4381様
ご覧いただきありがとうございます。当時の録画機材はレンタルで借りたのですが、デッキ部とカメラが別々になっていて雪の中大変だったことを覚えています。デッキ部には大きなVHSのテープをそのまま入れ、バッテリーは羊羹みたいに大きく30分しか持ちませんでした。今は4K60Pまで手軽に撮影できるようになり技術の進歩に驚くばかりです。いよいよ8Kも視野に入ってきて、この先が本当に楽しみです。
みたいアングルが沢山あって感激しました(^ ^)ありがとうございます。
この頃、長距離鈍行ありましたよね。よく会社の寮(西那須野)から実家(仙台)帰るのに使ってました。
特に43形客車は乗り心地が良く、座席の厚さと相まって、何時間乗っても疲れにくかった記憶があります。スピードではかないませんが、空気バネの今の電車に決して負けてません。
+M Heart まさに高級車だったんやね。重厚感とはこういうことなんでしょう。旧客と馬鹿にしていた時もありました。鈍間で古臭いという認識でした。反省…。
子供の頃 山陰線のこの型の鈍行に乗りました。ドアが開いていてのんびり福知山まで行きました。もう一度乗りたいな味があるねこの頃の客車 駅弁食いながらJRさん旧型客車復活して
53・9まで123ㇾだった一ノ関行きですかね?ドア開けたままでも自己責人でしたね。一応「泊まってから降りてくれ」・「駆け込み乗車はお止めください」楽しかったな…あの時代。
やはり黒磯駅はみちのくなんですね!この映像そう、黒磯駅ゆきのなか。イイです。
旧型客車が全盛期のころ、駅に停まる度 特急や急行、貨物列車そして荷物列車に追い越されたのを覚えています。
中線に退避し上下線をけたたましいスピードで通過する特急に恐怖さえ感じました!
大きな駅では 10分15分の停車は当たり前 駅そばを食う余裕もあった
自分は参加しなかったが 鉄研の連中が一筆書き日本一周を夏休みにやったとき 各地に帰って行った同級生から駅で差し入れを受け取る余裕もあった
あの時代は 電報なんだよな いちおう出発前には断りを入れておくが〇〇駅に〇時に〇列車で と一報入れるとほぼ必ず来てくれたものです
車掌に頼めば(もちろん大きな駅でも)電報が打てた時代
懐かしい。
上野駅13番線発だったような?
ひと駅先の尾久までよく乗りました。
黒磯で缶ビールと九尾の釜飯買って郡山辺りで長時間停車なら会津のカップ酒を買って… そんな事が出来たんだなぁ
よく聞いてると機関車のモータ音がしていますね。
凄い録画やね。特にデッキ部分の走行時。外気を受けた状態での録画。寒かったんでしょう(笑)。そんな事は、今の安全に関してうるさい時代になったのだから不可能なこと。貴重すぎます。釣りかけ音バリバリ聞こえますやん(笑)。
発車時の「ピーーーー!!(汽笛)…ピヒュー(?)…ガチャン!!(連結器)」という一連のコンボが懐かしいです。
ED75は「ピヒュー」が発車時ですがEF81だと停車した直後に鳴ってたので、「何の音なんだろ?」といつも疑問に思っていました。
ZZZZZX11 ブレーキ緩解の音ではなく?
この動画よりも随分前になるが、国鉄時刻表(1968年10月、復刻版)を見ていると、近距離は気動車が使われることが目立つが、それ以外は客車が100%の年であった。上野〜東北本線〜青森、上野〜常磐線〜青森、上野〜奥羽本線〜青森とありました。その頃は東北の非電化区間は蒸気機関車に牽引されていましたし、三重連も見られました。
雪景色いいね~
嗯 沒錯 就是日本的普快車跟台灣平快車相當一樣
廃止直前でこの閑散ぶり!今なら考えられませんね。
この時代を知ってるものからしても、8時間21分!過酷過ぎる
なつかしい。昔の電車は雪にも風にも強かったのに…今はワンマンだし軽いせいか雪に弱い。
本当にそうですね。旧型客車は風雪に強かった。21世紀の今の方が弱いって何なんでしょうね
乗ってる時のジョイント音の重みが違いますよね…
@@ecneicslaicos 新幹線利用者以外はクソ客なんでしょw利益ばっか優先しやがって👊
@@ecneicslaicos 新幹線ばかり優遇しやがって今は乗る気になれん。通学途中のガキ共もうるさいから。
旧客ではありませんが、飯山線なんかも昭和の頃はかなりの雪でも運休しなかった…
85年3月の撮影ということは、ごく一部以外の旧型客車列車廃止の寸前の撮影ですね。
10万円払ってでも乗りたいです。
bolaurel1 様 ご覧いただきありがとうございます。
私も10万円でも乗りたいです、旧客は必須で、機関車はゴハチはいないのでEF65、九州はEF81かED76。
でも、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR九州と4社にまたがるので無理かなぁ。
ED75との連結部のドアは開放なんですね❗
shuncgd1 様 ご覧いただきありがとうございます。
そうですね、昔は鎖一本だけでした。機関車に触れます!
一番後ろも同じで鎖1本と渡り板を上げただけで転落を防いでいました。
1993年に701系が投入されるまでは、わずかながら719系や455系などに混じって客車列車も残存していましたね。
本来は417系によって昭和50年代までに姿を消す予定だったらしいですが、その417系の製造コストがバカにならないらしくやめたみたいですね。
懐かしい❗客車、もしかして客室内に灰皿もあった時代でしょうか?
客レ復活して欲しい
上野発で,EF57が牽引していた記憶が・・・
potterandvoldemort 様 ご覧いただきありがとうございます。
上野11時13分発の一ノ関行き123列車は昭和53年10月からは黒磯発に変更になりました。
それまではおっしゃるようにEF57やEF58が担当していました。撮影には朝5時30分発の郡山行を使って
いましたが、13番線ホームの先頭にEF57かEF58かどっちがくっついているかワクワクしながら見に行き
乗り込んだものです。EF57だと折り返し運用の122列車のEF57が確定するので大喜びでした。
@@75kan 返信ありがとうございます。私は子供のころ,時刻表でこの列車の存在を知ってから,チョコレート色の客車を好んで乗っていました。
これって昭和60年3月11日の映像じゃないか
詳しくはわかりませんが、機関車が連結されていないと、蒸気暖房の供給がされないのでは・・・・。デッキがあるとはいえ、機関車が連結されるまでは熱源がなく、寒かったのではないですか?
tsuka5116 様こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。ED75は電気暖房でしたが、連結されていないと客車内が冷えてきます。この時は折り返しでしたし、興奮していたので寒さは大丈夫でした(笑)。
今の東北本線とは全然違うな(>__
なんか、電車の吊掛けモーターみたいな音がしますが気のせい?
広子村田 さんこんばんは。ED75は吊掛け駆動方式ですので、この音はナナゴのモーター音です。吊掛けサウンド、懐かしいですね。
客室から機関車丸見え
中身更新されてない客車かあ
追伸 上野から乗って,上り電車との連絡がある駅で下車して上野までもどる。カレチさんが来ないことを祈って,よく安切符で乗っていました。違法ですけどね。
各停か。
ある意味417系量産されなくてよかったかもですね。恐ろしい話ですが、417系が大量量産されていたら3両2ドアの電車に押し込められていた可能性が高いですよ。国鉄時代青森や秋田にも417系を導入するつもりだったみたいだし、そしたらどこ行っても417系しか見なかったわけだ。旧国は417に感謝しなければいけないと思う。じゃなきゃ417ばっかの東北・北陸地方だっただろうからね。
キハ47の世界が電車区間にも及んだと言う事でしょう、キハ40とキハ48は50系が増備されなければもっと勢力を伸ばしたと言う事でしょう。
這個日本國鐵舊型客車好像台鐵普快車 有人知道嗎 給出答案
こんなに空いた列車を葛西や深澤が見たら直ぐに1,2両の編成にするでしょうね、両名国鉄時代からいたのに何故すぐやらなかったのだろうか?自分に赤字の責任が及ぶときになってやっと動き出すと言うクズですね。
通常運用は既に115系1000番台による置き換えが進んでいたんですけどねぇ。東北本線の黒磯以南の普通列車は、115系化が物凄く早かったんですが、国鉄が電化の経費を削減しようと交流電化で東北地区を電化してしまったが為に、新型車両を入れづらくなった背景が客車列車をあそこまで生き残らせる結果となった訳です。本来交流電化は常磐線以外の路線でやっても効果が出ないことが分かっていたのに、国鉄は費用削減の一環で交流電化にしたのがそもそもの問題だったと思います。後年になって電化された山陽本線、直流電化に全線電化したことで115系を入れやすくなり、こちらは関東地区の非冷房車を転属させ旧型国電と客車列車の置き換えを行いましたが、東北本線黒磯以北ならびに奥羽本線、羽越本線と言った東北三大幹線も直流電化方式の電化を取るべきだったでしょうね。北陸本線にも言えますが、交流電化のメリットは薄く、常磐線を除けば一気に大電流を流さないと高速運転できない新幹線以外では車両を用意しなきゃいけないなどのデメリットの方が多かったりしますね。初めから直流電化をしておけば、本州だけなら115系でも賄えますので115系を新製して客レの置き換えをしてあげれば近代的な路線となっていたでしょう。長文失礼しました。
少し前なら上野8時発の一ノ関行きってあった
廃止直前でこの閑散ぶり!今なら考えられませんね。